「武器がなくても闘える」
今回日記を担当させていただきます、福岡大学サッカー部1年の吉住気喬です。
「武器がない」
この言葉は私がサッカー人生で初めて挫折を味わった時の指導者からの言葉だった。
私が小学校の頃は身長が160センチ近くあり、競り合いに負けることはなく、小学5年生の頃はゴールキーパーで県トレセン、6年生の頃はフィールドプレイヤーで県トレセンに合格するほど自分でも天才だと思ってしまうような選手だった。
中学に進学する際にはアビスパ福岡のジュニアユースへプロ選手になることを目標に入団した。
しかし、チームメイトの背がどんどん伸び、自分より大きくなっていた。自分の体格の成長は止まってしまい身長が伸びなくなった。
武器としていた競り合いも負けることの方が増えていたが、ピッチ内で声を出し続けなんとか試合には出場できていた。
3年時にキャプテンを務め、その時の自分は試合に出続けていたためユースに昇格できるだろうと過信していた。
面談の結果、私はユースに昇格することができなかった。
そのとき指導者から言われた言葉は今でも忘れることはない。
「武器がない」
その際実感した、自分は天才じゃないんだと。
悔しかったしサッカーを初めて嫌いになった。
プロの世界で武器のない選手がいないのはわかっていた。
けどプロ選手になるという夢は諦めきれなかった。
自分を捨てたクラブを見返そうと誓った。
夢をもう一度本気で叶えるために福岡大学サッカー部に入部しようと考えた。
そこで高校は福岡大学附属若葉高校に入学した。
高校ではキャプテンを務め、福岡県のベスト4に名乗るまでチームは大きくなっていった。
ユースの綺麗なサッカーとは違い、精神的にも肉体的にも泥臭く成長することができた。
3年間試合に関わり続け、対人守備に自信をつけ武器を作ることが出来たとその時は思っていた。
福岡大学サッカー部に入部すると初めはB1からのスタートだったが、今はトップチームに所属している。試合に出るのが当たり前だった高校サッカーとは違い、練習では武器と思っていた対人守備がまったく通用せず、また前と同じように自分から武器が消えてしまった。まだ1試合も九州リーグにベンチ入りすら出来ていない。
私は「オール3」の適度にこなす特徴のない選手だと自分でも理解していた。
トレーナーの奈良崎さんと面談をした際に武器を聞かれたが答えることができなかった。すると、
「オール3をオール4、5にすればいい」
その時感じた、武器がなくても闘うことはできる。武器がないことをプラスに考え、苦手がないことを武器にする逆の発想をすることができた。
どのポジションに置かれても求められていることを表現することができ、チームに開いた穴があれば自分が入れるようなユーティリティな選手になることを考えていたがそれではダメだと気付かされた。
どのポジションでも2番、3番手ではなく1番にならなくてはいけない。
やはりプロ選手になるには武器が必要。しかしすぐに作ることができないことはわかっている。そこで、正確なビルドアップ、負けない対人守備、小さいなりの泥臭い闘い方をもう一度身につけようと本気でサッカーと向き合う覚悟ができた。
大学生活は4年間あり、福岡大学サッカー部には本気でプロ選手を目指す環境が整っている。まだ1年生だが来年になると新しい戦力も加わり、ますます試合に出れるかわからなくなってくる。1年目で試合に絡むことができればスカウトの目に止まる。この4年間で必ずオール3の選手を卒業する。
1年目からトップチームに所属させてもらっていることに自信を持ち、常にチャレンジし続けて、焦らずひとつずつ精度、強度を上げていく。少しでも早く試合に出場できるように謙虚さを忘れずに頑張っていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
これからも福岡大学サッカー部の応援よろしくお願いいたします。
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