「イビチャ・オシム監督追悼コラム」
〜水を運ぶ人の意味とは〜
5月1日、元日本代表監督イビチャ・オシムさん(80)の訃報が報じられました。
日本では2003年に来日して、Jジェフ市原(千葉)の監督就任以降、ジェフ市原での05年ナビスコ杯優勝や06年日本代表監督就任、そして07年11月脳梗塞での退任、岡田武史監督の緊急登板などの経歴で語られることが一般的である。
ところが、私乾自身とイビチャ・オシム監督&アシマ夫人との出会いは、偶然と幸運にも、2002年日韓共同開催のW杯大会でいきなり運命的に実現した。
W杯日韓大会に、オシムさんは、FIFA(国際サッカー連盟)のテクニカル・スタディグループ(TSG)役員として来日され、私は日本サッカー協会側からのTSG委員として派遣され、まさか何と?オシム監督付きの専属サポート役に命じられたのだった。
札幌ドーム開催のアルゼンチン🇦🇷vsイングランド🏴戦を皮切りに、大会期間中約一カ月近く、毎日同じFIFA本部ホテルに滞在して、専用車1台が用意され、お食事や移動、休日観光などをお供させて頂いた。
試合前日のスタジアム内公式練習視察では、ピッチ横で真近に代表チームの練習を見たり、W杯代表監督たちに、直接インタビューする役割もあり、とても刺激的な毎日だった。
試合当日には、光栄にも専用車で一緒にスタジアム入りして、FIFA特別席で観戦し、戦評や分析レポート作成、試合毎のMOM(マンオブザマッチ)を選定する役割をお手伝いさせて頂いた。
スタジアム内での待合室は最高の時間だった。試合開始前には、ホワイトボードに、マグネットを並べて先発メンバー、対戦チームの戦術分析やキープレーヤーについて、沢山の貴重なお話が聞けた。
一方的な話ではなく、必ず、「お前なら、どう思う?」と、聞かれて問答を繰り返す”世界一幸せなレッスン‘’の毎日だった気がする。深い洞察力で、試合の流れや勝負ポイントをズバリと読む力の正確さには、心底驚きを隠せなかった。
かの有名なオシム監督の「オシム語録」は、人生観や人生訓とも言える深みがあり、聴く人の心を惹きつける言葉の重みがあった。
故国ユーゴスラビアは、民族紛争の内戦により体制崩壊して、母国代表監督を辞任することでしか戦争反対の意思表示が出来ないという壮絶な過去を背負ってきたからこその強い信念と生き様がオシム監督の背景にある。
「水を運ぶ人」というオシムさん流の独特の表現は、戦時下で人びとの命を守るために働く尊い人を意味しており、
「地味だが、チームには絶対無くてはならない重要な人。または、チームの為に汗をかいて献身的にプレーする人」を表現している。
だから、常にMOMには、表に出て目立つ得点者ではなく、「チームを陰ながら支え、身体を張ってボールを奪い、しっかりと走りながらボールを繋ぐ選手」を注視しながら選考されていた。
首都サラエボは、戦火で街は焼野原と化し、戦争の過酷さと悲劇はオシム監督自身、家族とも離れて会えないまま、2年間の日々を実体験として経験したからこその言葉だった。
まさに、今、この時もウクライナでの戦時下で必死に生き抜く市民の壮絶な姿が、この意味をより鮮明に私たちに教えてくれる。
時にユーモアを交える独特な言い回しは、サッカーに対する厳しさでもあり、いつも選手やチームへの愛情に溢れていた。
常に斬新な練習方法やコーチ論などを繰り出し、語り尽くせないスケール感と魅力的な人物であった。
2003年再来日し、ジェフ市原の監督就任後にも連絡を頂き、何度も練習や試合を観に行かせていただきました。練習後、ご自宅に呼ばれて晩酌のお付き合いと、深夜3時の欧州サッカーTVを一緒にリアルタイムで見る機会もあり、「この人は、いつ寝ているのか?」と思わせるタフさでサッカー談義は、夜を徹してもまだまだ止まらなかった。
ジェフ市原という、小規模クラブを育てて勝たせる事にも、オシム流のこだわりがあった。長年オーストリアのFCシュトリュム・グラーツという小規模クラブを率いて、国内外欧州CLを闘いビッグクラブに真っ向勝負で対抗してきた。
単に、資金力で有名選手たちを集めて勝つのではなく、若くて無名、未完成な選手たちを自らの手で育てて勝つ事にこだわりがあった。これまでに幾つものビッグクラブからのオファーも断り続けたきた事からも判る。
2001年ユニバーシアード北京大会(私が代表コーチ)で優勝した当時の大学選抜メンバーたちの多くは、ジェフ市原加入で大きく成長した。特に巻誠一郎、羽生、深井、斎藤大輔、などオシムチルドレンと呼ばれる彼等がJリーグですくすくと成長して国内タイトルを獲り、日本代表チームへの階段を駆け上がる姿は、大卒組の遅咲きでもプロや代表チームで充分活躍できる新たな可能性を世に示してくれた。
2001,03,05年、ユニバーシアード大会三連覇達成当時には、全日本大学選抜チームのコーチや監督として国内合宿で何度も練習試合をさせて頂き、直接の薫陶を受けた事は、私自身の貴重な財産となった。
サッカーとは、「走りながら考えること」、「観て、判断して、実行すること」、「サッカーとは、人生のように思うようにならない。しかし、それに挑み続けるのも人生」、「日本人による日本のサッカーを作れ」、「人を育てて勝つこと」など、サッカーそのものの”本質的な意味“を深く深く学ばせて頂いた。
何色ものビブスを使い、魔法使いのように戦術的理解力を高めてしまう指導力、分析力、観察力、人を育てる真の愛情は、今も私自身の指導者人生訓として、身体の奥底に刻み込まれています。本当にありがとうございました。
心からイビチャ・オシム氏のご冥福をお祈りいたします。
2022年5月1日 乾 真寛