こんにちは。
今回、選手日記を担当します、1年マネージャーの大島爽です。まとまりのない文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
『サッカーへの関わり方』
とある時(高校時代、大学入学時)の会話。
「何か部活動、サークルは入っているの?」
「サッカー部のマネージャーをしています。」
「せっかくだから選手になったらいいのに。」
高校でサッカー部のマネージャーをしている時から「選手になったらいいのに。」とよく言われる。私が選手にならない理由の1つは、単に運動音痴だから。もう1つは、注目されることが苦手だから。
私は、保育園児のころ約2年間サッカーを習っていた。スポーツだから試合をするのが当たり前。監督に試合に出てみないかと誘われたが、私は断った。自分にボールがきたら誰かが自分のことを見る。その光景を想像すると、私が試合に出ても何もできないと思ってしまった。ボールを追いかけるスポーツのはずが、私の中でボールを避けるスポーツになっていた。
そこからサッカーを辞め、スケート、テニス等の他のスポーツや、ギター、箏といった楽器にも挑戦したが、やはり自分には合わなかった。これらに共通することは、プレーや披露をする際に自分が誰かに注目されることである。このような経験から、次第に自分は何かを披露するより、裏方でサポートする方が向いているのではないかと思い始めた。その考えをもとに、私は高校からマネージャーをすることに決めた。
高校でマネージャーを始めた頃は、先輩マネージャーに教えてもらった通りにただ仕事をしていた。入部から数ヶ月して、自分が何のためにマネージャーをやっているのか、何のために日が暮れるまで活動しているのか、部活動に関する全てのことがよくわからなくなった。このままではマネージャーを続けていけないと思い、自分が何のために活動しているのかを考えた。
選手のみんながより多くの人に注目され、活躍することが私の望みだ。部活動という中で、勝利に向けて努力する選手のサポートをし、試合に勝って喜ぶ姿を私は見たい。それを見ることで、私は「マネージャーとして活動してよかった。」と達成感を感じる。改めて自分を振り返ったことにより、前を向いて行動できるようになった。だから私は今でもマネージャーを続けることができている。
最後に、短くなぜ私がサッカーに拘るのかを述べようと思う。
私の日常には、物心ついた時からサッカーがあった。それは2歳上の兄が年少からサッカーをしていたからだ。平日には練習の送迎について行き、休日には試合の応援に行く。そんな日々を送ってきた。
高1の夏、私の日常からサッカーが無くなった。それは、兄が引退したからだ。その時、今までにない大きな喪失感を抱いた。私自身の引退ではないのに、自分がなぜ喪失感を抱いたのかわからなかった。
そのまま時を過ごしていると、ふと今までの自分を振り返ることがあった。物心がつく前から喪失感を抱くまでの私の日常には様々な形でサッカーが関わっていたことに気が付いた。私の生活の中にサッカーがあることが当たり前になっていた。
そのようなことがあり、私は“サッカー部”のマネージャーになり、今でもサッカーに関わり続けている。自分の中で、日常にサッカーがある生活を送るのは、大学生活で最後にすると決めた。悔いが残らないよう、一日一日を大切にし、自分にできる最大限のサポートを選手のみんなにしていこうと思う。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後とも、福岡大学サッカー部の応援をよろしくお願いします。
選手情報はこちら