「野心」
いじめられっ子。泣き虫で弱虫だった私は友人に誘われサッカーを始めました。「プロになりたい。」と夢見たサッカー小僧のバックストーリーから、大学生活での学び、そして誰よりも圧倒的な「野心」を語ります。
長くなりますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。
小学生、岡山市トレセンに落選。
中学生、ファジアーノ岡山u-15の1次試験落選、岡山県トレセン落選。
高校生、全国大会は未出場。
大学に入り、全国大会に初出場するも私の名前を知るものはいない。
だが、小中高とチームの主力として試合に出れない週末はなかった…
中学生では、試合に出れない週末は無く毎公式戦に出場していたが、岡山県トレセンに落選した。そして、玉野光南高校の門を叩いた。
岡山県トレセンの常連組を前に、厳しいと言われる事もあった。だが、卒団から入学までの間、自信を持って1番練習したと言える。
私の練習は基本1人。小学校、グラウンド、なんでもない壁。公園、河川敷、木を相手にしたドリブル。田舎道をサッカーボールを蹴りながらランニング、想像で作り出す相手を色んな技でかわす。時には今でも仲の良いサッカーをした事ない友人に嫌々だっただろうけど付き合ってもらっていた。実家の横の道路で1vs1をして、片道4kmの通学を走って行き、自転車でペースを合わせて帰ってくれたり。1人で練習する時間の方が圧倒的に多いが、そんな時間が1人でやるより好きだった。ありがとう。
入学前からトップチームに関わらせてもらい、1年生から公式戦に出場し続け、出場無く日曜日が終わる事は無かった。3年生では10番を付け、チームの顔として成長していった。
アヴァンサールに所属し、玉野光南高校に所属し、試合に出て経験を積んだ。尊敬できる恩師にも出会い、この2チームに所属してなかったら今の私は無い。素晴らしい成長曲線を描いた。後悔はない。
一見、順風満帆なサッカー人生のように見える。
でもプロには程遠かった。
高卒でJリーグに出場している選手を見て、このままのチーム選びで良いのか。特大に背伸びしよう。そう思い全国優勝を目標とした福岡大学に入学し、同期、先輩後輩、スタッフに恵まれた。そしてサッカースキルに確かな手応えを感じ、1年生からトップチームに行ける。そう感じた矢先の怪我だった。
私の怪我は多くの邪魔をした。球際が怖い、守備に行けない。手を挙げるのすら怖い。周りに弱っている自分を見せるのが嫌だった。半年のリハビリ期間にみんなに差を付けられるのが嫌だった。トップデビュー、国体選抜、を経験したが、肩が何も無ければもっと上に行けたのか。正解のない結果論を滲ませる、そんな大学2年時までの15年のサッカー人生だ。
3年目は勝負の年、「必ず結果を出す。」
そう誓ったが7月頭の出来事だった。
アップ中にジャンプをしたら脱臼した。15回程脱臼して過去最大の痛みと周りの「またかよ。」という声や目を感じ、心がポキッと折れる音が聞こえた。折れるな、折れるな、そう言い聞かしたが、思っていたより心は現実を見ていたのかもしれない。
いつものようにその後すぐピッチに戻る事はできなかった。
絶望。諦め。無心。虚無。
そんな心で数分練習を眺めていたら吉田竜樹が頭に浮かんだ。大学で4度の手術をしている同期だ。尊敬している同期に力をもらい、「一緒に同じピッチに立って互いのアシストで互いがゴールを決める。」そんな脚本を描いてくれた。
竜樹、慶翔、龍、翔、悠、村山コーチ、監督、から
「手術乗り越えて帰って来い。」「一緒にサッカーするぞ。」「お前のワクワクするプレーを毎日みたい。」
再起した。感謝している。またみんなで抱き合いたい。まだ自分を信じたい。
友人や家族の後押しもあり、ついに手術の覚悟を決め、3年生という1年を捨てた。
つもりだった。
怪我の期間に挑戦する機会をもらったのは捨てたなんて似合わない指導者という役職だった。下手ながらに想いをぶつけると、「外から見た事を伝えるのが上手い」「めっちゃ分かりやすい」「賢いな」思ってもみない嬉しいフィードバックでサッカーを通じで人生を学んだんだと実感した。右手は動かないが、沢山の挑戦と思い出を作った。
「傲慢な人間は他人の意見に耳を傾けない。自信のある人間は異論を歓迎し、素直に耳を傾ける勇気を持っている。」
主張力、傾聴力がとても大切な役職に向き合い、サッカーにも直結する言葉を知った。
そして、結果を出そうと模索する内に確かな自分の価値になっていっていた。
「伝える力」 「主張力」 「思考力」
この力は私の確かな強みと言えるまでに成長し、カテゴリーに講演会をし、フィードバックをもらったり、その力は私がこれまでサッカーをやってきた中でずっとやり続けていた事だった。
サッカーに繋ぐと、
「なぜ」という原因を思考し、言語化させる事。
これまでのサッカー経験を元に、「感覚を言語化」し自身のプレーに再現性を持たせる。元々、センスも才能も身体能力も無い私が高いレベルでプレーするためにはグットプレーの意図的再現を成功させ、何度も何度も繰り返し続ける事が大切。頭を動かし続け、誰よりも考え、行動し、失敗を繰り返しながら答えのない問題に挑み、自分なりの答えを創造する。それが私の大学生活の中で言語化した、ずっとやり続けている無名選手の野心だ。
手術から復帰。8ヶ月ぶりの試合に、10番のユニフォームに身を包み、キャプテンマークを巻き、宮崎遠征で得点を決め、みんなと久しぶりに抱き合った。あの嬉しさは忘れられない。その写真が1番大好きな写真だ。
確実に大学の4年間は私を成長させてくれたと現時点でも言い切る事が出来る。今でも何不自由なく生活出来ているのは産まれてからずっとずっと家族のおかげだ。そんな環境を与えてくれた両親には本当に感謝している。
そして、私には約束がある。ゼミでのプレゼンで発表した未来の脚本を現実化させる事と竜樹との約束だ。この同期との巡り合わせはきっと運命なのだろう。そう思い、感謝し、みんなで1つ、形として結果を残したい。その中に不可欠な存在でいたい。
残り半年はサッカー人生の集大成だ。
岸本大雅 という無名選手が描く人生の成長曲線の続きを私は期待している。
サッカーが終われば人生は終わりではない。
どんな失敗も乗り越え、糧に価値にする。
思い描く理想と現実のギャップを受け止め、埋めるために学び続ける。
みんなの物語の登場人物から 岸本大雅 という名前に埃が被っても、必ずまたこの名がどんな形であれ、みんなの耳に届く、そう信じて歩み続ける。
岸本 大雅
これからの福岡大学サッカー部と岸本大雅の応援をよろしくお願いします。
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