今回選手日記を担当させていただきます、福岡大学サッカー部4年の内藤翔大です。よろしくお願いします。
何を書くか迷いましたがサッカー人生について書きたいと思います。少し長い文章になりますが最後まで読んでいただけると幸いです。
『思い描いた夢』
何度も転び立ち上がってきたサッカー人生。
もちろん、将来の夢は「プロサッカー選手」だった。
サッカーをはじめ小学生ではチームで少し上手いくらい。「サッカーを続けていればいずれサッカー選手になれる」根拠のない自信がどこかにあった。
中学、公式戦と呼ばれるピッチに立った記憶はほぼない。試合に出れないという現実に心の中にあったプロという夢はいつしか無くなった。それでも1番苦しい3年間でサッカーを大好きになった。
だから高校選択で逃げた。言わば強豪校と呼ばれる高校を選択しなかった。それなのに2年生で県大会に途中出場、パフォーマンスが悪すぎてベスト5(東福岡スーパーシードのため)をかけた試合でメンバー外、高校最後(3年)にコロナでインターハイ中止、選手権では予選で負け県大会出場すらできなかった。
サッカーを辞めることが想像できなくて大学でも続けることを決めた。B2(1番下)からのスタート。Iリーグカテゴリーの中で唯一決勝トーナメントに進めなかった。2年でA2(2番目)までカテゴリーに上がることができた。しかし、1年間で公式戦の出場は5分くらい。3年でカテゴリーが1つ落ちた(B1)。でも全国大会へ出場することができた。全国ではボロ負け。自分らしい終わり方だと感じた。
その冬、サッカーを続けるか辞めるかの選択があった。夏には選手を辞めスタッフとして活動しようと決意した。しかし、全国の出場、インカレのピッチで仲間が躍動する姿を観てサッカーを辞めるのが怖くなった。選手として続けることができる環境が1年残されているのにサッカーを辞める覚悟が持てなかった。いずれ必ずくるサッカーを辞める時。大学2.3年生で国体という舞台でスタッフの立場としてサッカーを支える仕事を経験させてもらった。選手がピッチで活躍するためには多くの人の支えがある。「憧れのプロの舞台で支える側として働く」という新たな夢を持った今シーズン、選手を辞める決断をした。
振り返れば福岡大学に恵まれたサッカー人生だ。中学の指導者も高校の指導者も第一志望の大学に落ち進学した先も福岡大学。福岡大学に引き寄せられたかのように、、そんな自分が小さい頃から唯一熱中したサッカーで恩返しがしたい。選手を辞めたことが正解かもわからない。結果で証明するしかない。大学入学の綾での合宿で言った「全国優勝」という目標を達成するために。しかし、もうピッチで表現することはできない。ゴールなど直接結果に関われない。選手がピッチ上で最高のパフォーマンスをするためのサポートする。自分の叶えられなかった夢を託して。
最後に普段は一緒に暮らしす父と母にたくさんの負担とサッカーで悔しい思いをさせた。福岡県内だからまだたくさんサッカーをしている姿を見せれたし見たかったと思う。この選択を受け入れ応援してくれる両親のためにも全国優勝しサッカーでの恩返しをします。残り1年のサポートをよろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも福岡大学サッカー部の応援よろしくお願いいたします。
福岡大学サッカー部4年 内藤翔大
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