選手日記
今回選手日記を担当します。
福岡大学サッカー部3年の佐藤光清です。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
「七転び八起き」
私は小学生1年まで野球をしようと思っていて、父や野球をしている従兄弟と一緒に野球の練習をしていましたが、横でサッカーをやっていた兄の影響を受け、小学2年の頃からサッカーを始めました。
小学生の頃は兄と一緒のチームで、県大会に出れば十分良い戦績となるくらいのチームでした。
そして、そこではキャプテンをやらせていただきました。
中学生の頃も兄と一緒のチームで、オリエントという個人技をひたすら磨くようなチームでプレーしました。
この頃まではあまり挫折をすることなくサッカーを続けれていました。
高校は当時福岡の4強と少しずつ肩を並べる程になっていた地元の飯塚高校に入学しました。
同級生や先輩には技術力が高い選手ばかりでトップチームではなく、自分の学年のチームの試合にも出られない状況で、初めて挫折を経験しました。
この時期くらいに父に言われた言葉が
「七転び八起き」
この言葉は今でも父が言う言葉の一つで自分が挫折した時や落ち込んでる時にかけてくれる言葉で、「大丈夫、また起き上がればいい」と何度も言われてきました。
聞き続ける中で落ち込んでも、自分で「まだ大丈夫、まだ成長できる」と思い、ひたむきに努力してきました。
その努力が実ったのか、3年時ではトップチームでプレーでき、飯塚高校初の全国大会に出場することができました。
さらにレベルの高い環境でサッカーすることを決断し、福岡大学に入学しました。
1年時は1番下のB2からスタートし、すぐにB1に上がりましたが、大学のプレースピード、強度についていくのに必死で、公式戦には2試合しか出場することができませんでした。
2年時は春休みから一つ上のカテゴリーのAサテでスタートしたのですが、精神的に限界で鬱な状態で7月まで過ごす時期がありました。
私は友達や周りの人から「ツボが浅い」「ゲラ」とよく言われますが、この4月から7月の間は友達といる時間もサッカーをする時間も楽しいと感じることはなく、笑うことも激減しました。
今までは何度も立ち直ってきましたが、この時は立ち直ることはなかなかできませんでした。
その時期にすごく助けになったのが、家族といつも一緒にいる3人の友達の存在でした。
家族とは何度も電話をしていつでも自分の味方だとということを言ってくれて、友達はいつでも話を聞いてくれて、一緒にいる時に楽しい雰囲気を作ってくれました。
そして、なによりもこの人たちと接することは落ち着いてすごく安心することができました。
そのおかげで少しずつ精神的に落ち着くことができ、私は前期が終了する時期にB1でプレーすることを決断し、Iリーグ九州決勝でAサテを倒して優勝することを目標に努力しました。
順調に勝ち上がり、決勝でAサテを倒し優勝することができました。
この年は今までの「七転び八起き」の中で1番成長したことを感じることができ、サッカーの面白さ、魅力を再認識した年でした。
現在はAサテに所属しており、サッカーを本気で楽しみながら「七転び八起き」をモットーに、感謝の気持ち、謙虚さ、素直さを忘れず成長し続けます。
Iリーグ九州、全国無失点全勝優勝を目指し、今後も精進していきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後とも福岡大学サッカー部の応援の程よろしくお願いいたします。
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