今回、選手日記を担当させていただきます。
福岡大学サッカー部1年原翔聖です。
福岡大学サッカー部に入部してから約5ヶ月が経とうとしています。5ヶ月の間で感じたこと
を少し書こうと思います。
まずは親の有り難みです。朝練習があるときは5時に起きて準備をしますが、親は自分の弁当や朝ごはんを作るために同じ時間に起きます。
就寝につくのは11時30分過ぎです。
親は洗濯や皿洗いなどを全て終わらすのは12時です。
感謝しかないです。
ありがとう。
「誰かのために頑張る」
話は変わりますが、これまでのサッカー人生について少し遡って書かせていただきます。
サッカーを始めたのは小学4年生で、その時はただボールをおって楽しくプレーしていました。身体能力が他の人より高かったので裏にけって走れば大抵勝っていたので小学生の時は、能力に頼ったプレーをしていました。シンプルに縦に早いプレーで泥臭くてもゴールをとればみんなが寄って来て、一緒に喜ぶのがとても好きでした。
自分は双子なんですけど、双子の兄と長男と自分でよくサッカーをしていました。
2対1でよく対人プレーをしていて、ルール付き勝負をしていました。ドリブルで抜いてゴールに通過したら2点、パスして連携で崩したらパスした人は1点、先に10点とった人が勝ちで自分は常に負けていました。負けず嫌いな自分は勝つまで勝負を挑んでいました。
そのおかげで大事な場面では結果を出せるようになりました。
小学生の時に身体能力に頼りすぎたせいで技術
面が上達せずミスを沢山していました。技術面は今でも課題ですし、幼い頃に練習しなかった事を後悔しています。
中学2年生のときに初めてスタメンから外れました。ベンチスタートの時は何であいつが出てるのかがわからないという思考になってしまっていた。中学生の時は謙虚さが全くありませんでした。その結果中学では成長する事は出来ませんでした。高校から推薦をもらえてたので高校でサッカーを続けることができました。
自分は高卒プロを目標に飯塚高校に入学しました。
高校では一年生の12月からトップチームに帯同していました。初めは一年生だけのカテゴリーでもスタメンではなかったですし、出ても30分出れるか出れないかぐらいの選手でした。結果も出していないのに、なぜあの時トップチームに上がったのかは今でも分かりません。トップチームで生き残る為に必死にくらいついてました。
自分は上手いプレーヤーではないのでチームの為に走って走って走り回ってました。ミスを沢山して監督には常に怒られていたけど試合には2年生の時から出し続けてくれました。選手権大会第101回、第102回で全国大会に出場し2年連続点を取ることができました。その結果、大学から推薦をもらうことができました。
結果を残せたのは見捨てずに使ってくれた監督のおかげです。高卒プロという目標を成し遂げる事はできなかったけど、プロサッカー選手への道を伸ばしてくれたので感謝しています。
今はまだ良い結果を報告する事は正直難しいです。
ですが、あと3年半の間で結果を出し続け、
「プロサッカー選手になった」
という報告を高校の監督と両親にできるようにこれからもコツコツ頑張ります。
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。
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